ロームシアター京都で23日に坂東玉三郎さんと太鼓芸能集団の鼓童のコラボレーションを観に行きました。
和太鼓のグループでのステージというと、大きな太鼓をドンドコとダイナミックに鳴らすイメージでそのような場面もあるのですが、『幽玄』というタイトルで能を題材にしているためかそういうイメージを覆すような演出も多く、玉三郎さん演出で出演はしないこれまでの鼓童の舞台でもこれまでの和太鼓のイメージからすると違ったものがありましたが、それ以上に太鼓の今までと違った面を見た印象でした。
特に最初の羽衣を題材にしたものは、裃姿で小さな太鼓を並べて漣のように演奏する場面が続き、太鼓の演奏をメインにした舞台では今までて最も静かなのではと思うような演奏でした。
玉三郎さんだけでなく花柳流の舞踊家の舞も繰り広げられるのですが、羽衣を拾った漁師や石橋の獅子だけでなく黒い着物で袴姿の扇を持った男性舞踊家の集団が、シンプルな舞台装置の中でモブ兼背景兼特殊効果のような役割をしていて面白かったです。
羽衣を巡る漁師とのやり取りは台詞はなく、演奏と舞踊だけで語られる世界で時間の感覚がなくなるような不思議な舞台でした。
休憩を挟んで道成寺と石橋が続けてなのですが、道成寺の最後の僧達の場面から仏教的な演出があり、そこから石橋を訪れる僧に変化する流れが良かったです。
道成寺は能の道成寺の進行ながら玉三郎さんの衣装は京鹿子娘道成寺の花子の姿で、華やかな姿の中に潜む怨念がじわじわと舞台を蝕んでいくようでした。
そして蛇体は石見神楽の大蛇の演出で表現され、太鼓の演奏も迫力あるものに変わっていきます。
木魚を含む演奏家が4人でリズミカルに演奏したかと思うと、三人で三面六臂の仏像のような姿を作り、木魚の演奏家がそれを拝む場面を挟んで石橋へと移ります。
玉三郎さんの獅子の他に四人の花柳流の舞踊家の獅子がいて、全員が鏡獅子のような白い獅子の姿ですが、玉三郎さんだけ衣装が微妙に違います。
玉三郎さんの獅子がうなずくように首を振ると、それに答えて他の獅子が会話をするように首を振ったりと異世界の生物の会話らしい演出があり、毛振りの迫力がありながらも神秘的なイメージの獅子達でした。
能を題材に歌舞伎の玉三郎さんが演出と出演で、花柳流の舞踊家が参加し、鼓童が演奏するという舞台でしたが、それぞれの要素がありながらどれでもなく、能の雰囲気とストーリーを残しながら鼓童の迫力とスピード感があり、玉三郎さんと花柳流の舞踊が華やかに表現する全く新しい舞台でした。
カーテンコールでは全員が礼をし、観客がそれに応え、またそれに演者が礼で応える暖かい余韻がありました。